IE6とIE7にまだパッチのリリースされていない脆弱性が報告されました。
・ITmedia エンタープライズ:Internet Explorerで未パッチの脆弱性
4月のパッチ群に間に合うんですかねぇ。
最近は条例でやりたい放題になってるような気がしてならないのですが、これもそんな感じですかねぇ。案を見る限り、子供たちを守るために必要だから作ったことと、子供たちをひっ捕らえるために必要だから作ったことが混じってる。妥当なものとやりすぎなものと混在してるように個人的には感じます。
大事なことは規制・排除・禁止等して大人の作った狭い檻に閉じ込めることではなく、社会という名の広大なサバンナでも生きて行かれるように、大人の知識経験を使って子供たちが間違った道に進まないように導いてあげることじゃないのだろうか。
たとえば性的・暴力的な過激表現に触れたときに、フィクションをフィクションとして認識して特に影響を受けない子供と、影響を受けてしまう子供といるという現実に対して、ただ単に規制することに本当に意味があるのかというのはきちんと考えられているのだろうか。
自由は常に責任がつきまとう不自由な自由だということをきちんと子供たちに教えてあげるべきなのに、自由であると言葉通りに受け取るからといって、自由を奪っていないだろうか。
心的要因で社会と相容れない生活をしている人たちが、社会復帰するための手段を奪っていないだろうか。
なぜ子供がそういう行動をとるのか、という原因を無視し、その行動を不良行為として条例で強制的に認定してしまうことに危機感はないのだろうか。
条例が不良行為と認定する行為に子供たちが至った原因を作った大人たちの責任はどこにあるのだろうか。
場合によっては子供だけではなく、大人も再教育が必要になることもあるのではないだろうか。
少なくとも
「ほら、あのおじちゃんが怒るからやめようね」
などという表現を使って子供を戒める親はどうかと思うし、子供を注意すらせずに放置し、他人に注意されると逆切れする親は人としてどうかと思うわけだが、とりあえず話がだんだんズレてきたのでここまで。
まぁ、規制したところで、見てないところでこそこそやるだけですよ。そういうもんでしょ、子供って。私もそうだったし。