こんなニュースがありました。
・高校教科書の二極化進む 文科省、検定結果発表 (中日新聞)
その中にこのような記述が…。
“学力が高くない生徒向けの教科書の場合、数学1で平易な足し算や引き算から始めるものや、英語で単語の発音に仮名を振るものが増加。”
こと数学においては算数はその地盤であり、四則演算がままならないのであればそこに立ち返ることも必要と私は思う。そういう意味でこういう措置はあってしかるべきなのだろう。それこそ男塾で九九やっていたみたいに。ただ、本当にきちんと学ばせて身につけさせたいなら安易に高校向けの教科書を対応させて使うよりも、小学校・中学校向けの教科書を使うほうがわかりやすいのではないかと思う。
単語の発音にルビふるのもいいですが、そういうのは「自分でやったほうが身につく」のではないか? 自分でわからない言葉を辞書で引き、その意味と発音を調べる。すると、教科書に書かれている文章を理解し、読めるようになる。学校が本当に教えなければならないのは、そういうことじゃないのかな?
知ることの喜び、わかることの楽しさ、解けた時の満足感、やり遂げた時の達成感。そういうのを感じさせてあげないと、ただ単に勉強しろと言ったところであまり意味ない。学校って勉強するだけの場所じゃないのだから。
以前ある番組でラサール石井が勉強することや理解することの楽しさを主張したことがあった。ただまわりの出演者は口々に「それは (頭の良い、勉強のできる) ラサール石井だから」と反論。こういうところに縮図として本質があらわれている。それに対して文部科学省はどう動いているかというと、…………まぁ、なんていうか。ゆとり教育って素敵だよネー (棒読み)。
ふと思ったんだけど、“数学1で平易な足し算や引き算から始める”必要がある生徒は、どうやって高校入ったんだろう……。