こういうの↓って人によって見聞きした時に思うことがかなり違ってくると思います。
・日々是遊戯:新郎のPS3本体と「ウイイレ」を勝手に売った友人に非難殺到 - ITmedia Gamez
・日刊スレッドガイド : 俺の留守中、親が勝手にWiiと箱○とPS3を親戚に貸しやがった
・鉄道模型を捨ててから、夫の様子がおかしい:アルファルファモザイク
ゲームをやりこむ人だったり、コレクターだったりすると、おそらく共通した感想を持つはずです。
「ありえない」
と。
ただし、そういったことをしない人や、そこにあるものに興味が無い人にとっては、集めたものものは邪魔なゴミと同等であるし、ゲームにしてもたかがゲームだし、またプレイすればいいじゃない程度にしか考えてくれないのだと思う。
まぁ、どっちが正しくてどっちが間違ってるってのはないんだよね、これ。
この温度差はどうしようもない。
自分だって、まったく興味のないことに誰かが熱狂的になっていたとしても、その気持ちは理解できない。理解できるとしたら、自分が似たような気持ちになっていることで、擬似的に理解することくらいだろうか。
うちの親も、物がたくさんある状態を快く思わない人で、当然ながら私のコレクションに対してはあまりいい印象は持っていない。ただ、完全に否定するわけでもなく、言うとしても「少しは処分して減らせ」程度でした。それ以前は完全に否定的だったから、だいぶよくなったと言えます。今は、諦めたか、物が増えても特に何も言わなくなりました。
そうやってコレクションに対する考え方が緩和されたきっかけになったのが「なんでも鑑定団」でした。あの番組で時々「おもちゃ」が取り上げられますが、そのときの金額を見て、そういうオタグッズにもビンテージな世界があり、貴重で価値のあるものなのだという認識ができたようです。そういうのは、所持してる人がいくら主張したところで、基本的に話を聞かない。事実をつきつけるしかないわけですが、そういう意味であの番組はかなり効果的でした。それまでは、昔のおもちゃなんてのはまさしく「ゴミ」という認識しかなかったのに、今では
「あの時あげちゃったおもちゃ、もったいなかった」
と発言するようになったくらい。それ以降は、私の所有物に対してとやかく言うようなことはなくなりました。まぁ、上で書いたように、少しは減らせ、くらいですな。
ところで、うちの親が「もったいなかった」と言うおもちゃは何かというと、コンバトラーVの超合金(5体セット)と、ガッチャマンのゴッドフェニックス。小学生のころだったか、私の了解を得た上で、親戚の子供にあげたもの。その後、それらがどうなったかわからないけど、箱は無いし、バトルジェットのコクピットは取れてしまってるし、傷もそれなりにあるし、といった感じで、まぁ、今は燃えないゴミになってるのだろうと思います。
もともと祖母が「何かに使える」と、物を取っておいた人で、包装紙なども綺麗に保管しておいたらしい。しかもきちんと物を片付ける人ではない(※)ので、それを反面教師にしたのか、親はとにかく物を溜め込むことや、床や畳にものを置くことを嫌っているのでありました。私はたぶん祖父母の性格を濃く受け継いだ可能性が……(隔世遺伝か?(笑))
※ 勉強や仕事は好きだが、家事全般はあまり好きではなかったらしい。あとは使いやすいところに物を置いていた可能性がある。
集めることに義務を感じて集めてる状態で心のどこかで苦痛を感じて「誰か止めてくれ!」と心が叫んでるならともかく、普通に楽しみで物を買っていて、買ったものを大事にしてる人だと、そういうコレクションに関することが自分を構成しているものの一部になっている可能性がある。心がレゴブロックで構成されているとしたら、そのどこかのブロックが趣味で構成されてたりするわけだ。納得して処分するならともかく、ある日、突然勝手に処分されてたらと思うと、レゴブロックの心を不意にハンマーで砕かれるようなものじゃないだろうか。その結果、激昂する人もいるだろうし、上の鉄道模型の人みたいなことになる人もいるだろうし、反応はさまざまかもしれないけど、自分だったらどういう行動に出るか、正直な話、自分に自身がない。
そういう事態にならないことを願うのみ、かなぁ。
でも、もしかしたら、鉄道模型の人のようになる可能性は否めない。
昔、自分の不注意でSFC版のリメイクDQ3のデータを飛ばしてしまった時、ソフトを売りに行っちゃったから。なんかもう、DQ3をやる気に一切なれなくて、何の迷いも無く売りに行ってしまった。もしある日、コレクションを勝手に処分されてたら、これのもっとすごい状況になるのかなぁ、とか思ったりすると切なくなる。