2012/12/15(土)。
映画「ONEPIECE FILM Z」を見た。
前作「ONEPIECE FILM STRONG WORLD」に続き、今回も原作者が製作に関与している。前作はその話題性に加え、来場者へ単行本「第0巻」が配られるということもあり、ワンピースの映画として異例の大ヒットとなった。今回も単行本「第千巻」が配布され、さらに先着100万名には「海賊の宝袋」なるグッズも配布される。宝袋はどうでもいいが、第千巻は入手しておきたい。
ということで、第千巻をもらうついでに、映画を見てきたというかたちになる。
結論から書くと、この作品は「名作になり損ねた作品」だった。それが見終わった時に率直に思ったこと。
以下、ネタバレを含むのご注意を。
この作品で何が一番良かったかと言われたら「Z先生」の他に無い。
この作品は、敵である「Z」の物語であると言える。作品自体は基本的に「麦わら海賊団」を主軸に、彼らの目線で話が進んでいくのだが、実際に見てると「Z」の存在感がものすごく大きく、主役である「麦わら海賊団」を食うかの如く、影の主役として立ち振る舞っている。
当然、ただ強いだけの敵だったら影の主役などという言葉は使わない。悪魔の実の能力者というわけでもない。もちろん、別にみてくれがカッコいいわけではない。派手な技を持つわけでも無いし、見た目も特に変わった特徴があるわけではない。右腕にナインハルト・ズィーガーのような馬鹿でかい武器を持っている別にそれがカッコいいわけではない。海軍大将から先生と呼ばれる元海軍のじいさん、それが「Z」だ。
彼の信念は「海賊は悪」である。彼の目的もまた「すべての海賊を滅する」ことだ。その目的のためには「いかなる犠牲をも厭わない」のがZ先生である。ならばなぜ海軍ではなくネオ海軍なのかについては、元海軍大将ゼファーからネオ海軍のZとなった経緯が、この作品の中で過去の出来事を含めて簡単に語られている。彼の信念も目的もそれらが礎となっている。彼はいわば確信犯であり、それゆえにブレないのだ。
そして、彼の元には彼に賛同し、彼を「Z先生」と慕い、そして目的遂行のために「死をも厭わない」、そんな連中が集まっている。それゆえにネオ海軍は強い。
そんなZ先生の、ある種のダークヒーローとしての位置づけが、彼のカッコよさを演出している。それはいわば「敵としての魅力」だ。魅力的な敵というのは、居るだけで、作品に華を添える。北斗の拳のラオウ然り、ドラゴンボールのベジータやフリーザ然り。「ONEPIECE FILM Z」においては「Z先生」と言わざるを得ない。では、「ONEPIECE FILM STRONG WORLD」における「シキ」はそれに足るキャラクターだっただろうかと言われれば、「Z先生」を見てしまうと、あれはただの敵だ。残念ながらそれだけの魅力は無い。
過去の出来事をきっかけに確信犯となった彼は、過去に縛られている状態だ。そんな彼は物語の終盤でZ先生からゼファー先生に戻っている。そのきっかけとなったのが主人公であるルフィである。ゼファー先生はルフィとの戦いの最後に一言こう言った。
「気が済んだ」
と。
彼の中で1つの決着がついたわけだ。海賊に絶望し、海軍に失望した彼が、かつてゼファーと呼ばれていた頃の思いを取り戻した。
でも話はここで終わらない。彼は再び、サングラスを手に取り、Z先生として立ち上がる。
彼がこの後何をするのか、それはぜひ作品を見て、Z先生の生き様を感じていただきたい。なぜならこの作品は「Z先生」の物語であるから。大事なことなの2度書かせてもらいました。
……と書いたが、これには理由がある。
この作品で重要なのは、「Z先生の心情の変化」だ。ネオ海軍の「Z」が、麦わらのルフィと出会い、戦いを繰りかえる中で、なぜ「かつてのゼファー」を取り戻すことになったのか、その描写がこの作品では薄い。別に言葉で語らなくてもよく、ちょっとした演出なり言動なりで十分に伝わるはずだが、それがあまり感じられなかった。ところどころそのような描写はある(※)のだが、残念ながら、最後まで見た際に「おそらくこういうことだろう」というところまで行っても確信には至らない程度である。そのため、観終わっても、ちょっとすっきりしない気持ちになった。そこがこの作品における残念なところだ。
そのすっきりしない気持ちがすっきりしたのが、「第千巻」を見てからである。第千巻を見ることで「おそらくこういうことだろう」が「こういうことでした」に変わった。ぶっちゃけ、この作品は第千巻があって完成してると思う。もし、この作品が第千巻が無くとも完成していたなら、この作品は名作と呼ばせてもらうのだが、残念ながらそうでは無かった。
ちなみに、この作品は作品としてのバランスが絶妙に保たれている。もしこれを「Z」を主軸に描かれていたら、おそらくパトレイバーの「WXIII」のようになっていたかもしれない。おっさんが見るならそれでも楽しいのだが、これ子供も見るからそれだとダメなんだよね。そういう意味でちゃんとバランスが取れていた。
なお、もしこの作品に、「麦わら海賊団の活躍」を期待するなら、おそらく期待外れになるので見ないほうがいいかもしれない。そうでなければ是非見ることをお勧めする。
※:これ書いてるのが映画見て1か月半経過した時点なのでもしかしたら足りてない&ちょっと間違ってるかもしれないけど、とりあえず思い出せるのはこんな感じ。
・その場で一味をぶちのめし船を破壊することではなく、周囲の船からの一斉射撃という手段を取り、逃走手段を残したこと
・麦わらのルフィが、ガープの孫であることを知っていること
・麦わらのルフィが被る麦わら帽子の由来を知っていること
・麦わら帽子を奪い、「それを取り戻す」という選択肢を与えたこと
・憎むべき海賊であるにも関わらず、麦わら帽子の件は、律儀に約束を守っていること
・ついでに酒を飲み、待ち遠しさも感じること
・クザンのセリフ
・ルフィが新世界を救うことに興味は無く、ただ麦わら帽子のために来たこと
・ラストシーンのヒーロー
彼の信念は純白ではなく、ほんの少し濁っている。その濁りこそ、麦わら帽子であり、その持ち主の「ゴール・D・ロジャー」なのであろうことが伺える。彼はルフィの言動に、かつてのロジャーを見たのだろう。それが復讐の鬼と化していたZ先生がヒーローを夢見てたゼファーに戻したのだろうとは思うのだが、ただ、あまりに断片的すぎて、エンドロールが終わった段階では確信には至らなかった。第千巻を見たら、そう書かれてた。それは無いわ。漢は言葉で語らず背中で語るというけど、背中で語らずに乳母車に乗ってる大五郎に説明された気分だ。せめて背中で語ってください。