8/3から8/10まで夏休みでした。普段は1〜2日休暇を何回かに分散して取っているのですが今年はなんとなくまとめて取ってみたのですが、何か長期的な計画が無い限りはどうもやはり私の性格上、まとめて取っても意味がないことがわかりました。わかってはいたけど再認識した、というか。分散したほうが (時間がさほど無いという制約がかかり) 有効に時間を使ってるような感じ。今回のように長期で休むとどうしてもダラダラと過ごしてしまうので、夏休み最終日になるとどうしてももったいなかったなぁと感じてしまいます。
学校に行ってたころは、やれ夏休みの宿題だ、ほれ旅行だ、などといろいろな計画が目白押しだったので長期休暇とはいってもそれなりにメリハリのある生活だったのですけどね。これといった予定がないと、メシ食うたびになにやら眠くなって、ま、いいかとそのまま寝てしまうことも多かったです。なんかこの1週間ほどの夏休み、寝てた時間のほうが多かったんじゃないか、と……。
夏休みといえば小中学校のころは学校で水泳があったので、それが結構楽しみでした。市中のプールと違って、スタート時に飛び込めるのがよかったです。そういえば私が住んでいた地域では朝のラジオ体操は7月中しかありませんでした。私はその頃普通に5時半とかに起きていたので、特に遅れることなくラジオ体操に参加してましたが、毎年7月までしか行われないので不思議でした。
夏休みの宿題は悲喜交々でしょうか。私は算数・数学の宿題が一番楽で好きでした。問題集をやれば終わりなので、夏休み突入してすぐ取り掛かってすぐ終わらせていました。逆に一番面倒だったのが日記、国語の読書感想文、理科の自由研究。
日記は毎日やらなければならないというのが。書きたいことがあれば苦にはならないけど、問題は普段となんら変わらない1日だった場合に書くことが無くて困る。自分にとって普段と変わらないから特記事項がない。当然書くことはいつもと同じようなことになるのであの日とこの日が似たような内容に……なんてことになるし、酷い時は数日間似たような生活をしていると「昨日と同じ」で済ませてしまったり。書くことないのに書かなきゃならないこの辛さ。いや別にいいんですよ。「今日は夕方からルパン三世再放送を見た。今日の放送は『死の翼アルバトロス』。宮崎駿らしさが出ていてとても面白かった」っていうような内容でもいいならいくらでも書けるんですけどねぇ。
読書感想文はあれですよ、感想文が書けない子だったので面倒で仕方なかったです。家には父親所有の文学全集があったので本が指定されていなければ読むには事欠かないのですが、書いてもよくある「ダメ感想文」になってしまうので困った。今ならいくらでも書けると思うけど、あの頃はダメでした。まぁ、その前に読みたくもない本を指定されるとそれだけで気分萎え萎えでやる気出ませんでしたが。ちなみに「こころ」が指定された時は、最初のページと最後のページだけを読んで感想文を書いたことがありました。
理科の自由研究。古今東西で同じことになってると思いますが、「何をやればいいの?」な子でした。好きにやっていいと言われると逆に困るのは今でも変わってません。たぶん目の前にいくらでも題材があるんでしょうけど、それを拾って形にできず、無から有を作れない。そこに何かヒントがあって0ではなく1からはじめられるなら、10にも100にも増やせるんだけど……ってな感じで日々生きております。
なんだかんだ言っても毎日やらなければならないものを除き、遅くとも8月中旬には宿題を終わらせていたので8月後半は遊びまくりでした。私は午前中に宿題、午後は遊ぶという日々でしたけどさほど多いとは感じなかったです。むしろ冬休みのほうが「短期間なのにそんなに出すか?」といつも思ってました。
以上、昔はよく光化学スモッグ注意報が出てたなぁなどと思いながら夏休みを思ってみました。